原題:Gibier d’Elevage
英題:SHIIKU
2011年、110分、フランス、クメール語、英語
監督/脚本/編集:リティー・パニュ
脚本:ミシェル・フェスレー
撮影監督:プレム・メザール
音響:ミリアム・ルネ、シアー・ヴィッサル
アシスタント・ディレクター:ローエン・ナリス
セット・デザイン:ブノア・シシルキヴィッチ
編集:マリー・クリスティーヌ・ルージュリー
音楽:マルク・マルデー
出演:シリル・ゲイ(アメリカ軍パイロット)、チェム・チュオブ(ポン)、スアム・チュアム(シエト)、プローチ・チュアム(ネイ)
TIFFアジアの風出品作。
1972年、カンボジア。米空軍機が撃墜され、黒人の中尉が村人たちに捕らえられる。そこは、クメール・ルージュのゲリラの影響下にある集落だった。原作は大江健三郎の同名小説。だが、米軍の黒人兵が村落共同体の捕虜になり、子どもたちが監視する設定以外は、全く別物だった。
小説は、若き大江の瑞々しい文体で描かれた一種の寓話である。舞台は戦争とは隔絶した山奥の貧しい村。思春期前夜の少年が、黒人兵の肉体が放つエロスに魅入られ、彼を渋谷のBRINGのように愛玩する。元軍国少年・大江の戦勝国そして黒人という異物への屈折した感情が、性的なまなざしと入り交り、異様な童話的な世界が構築されていた。
一方、リティー・パニュの『飼育』は、クメール・ルージュが村人たちを徐々に支配していく過程をつぶさに追う。当時のカンボジアは、クーデターでシアヌークを追放したロン・ノル政権と支援する米軍が、シアヌーク派や徐々に勢力を拡大しつつあったクメール・ルージュと内戦状態にあった。村の少年・ポンは、父がロン・ノル派の元へと去ったため、裏切り者の息子として後ろ指を指され、肩身の狭い思いをしている。
クメール・ルージュ(若い兵士数人と後は少年兵だけ)は、ポンのコンプレックスを利用して、黒人を管理する子どもたちのグループを統率させる。村人の監視も命じられたポンに、遥かに年上の大人たちが密告され、粛清されていく。
小説では、村の大人たちは黒人兵の管理を子どもに任せる。主人公をはじめとする村の子どもが黒人と仲良くなった後は、黒人は自由に監禁場所を出て、子どもたちと遊ぶ。そんな牧歌的な日々がしばらく続いていく。
しかし映画には、楽しげな時間は全く描かれない。クメール・ルージュ支配の尖兵となったポンは命令し、他の子どもたちは違和感と疑問を感じつつも従う。こうしてポンは、同年代の子ども、そして村の大人たちの心をがんじがらめにしていく。
それがポンにとっては、裏切り者の汚名からの解放になるのだから、悲劇性はいっそう深まる。『飼育』は、のちのポル・ポト時代の相互監視と大量虐殺の萌芽が、毒々しい幹をのばし、生長していく過程を刻銘に描いていく。舞台となる村が緑豊かで美しいだけに、恐怖も際だつのだ。
カンボジアでの大虐殺の後も、ボスニア、ルワンダ、ダルフールと同様の事が起きた。人間はたやすく他者を虐殺する。それを止めるためにはまず、虐殺を生む社会がどのような土壌に育まれ、虐殺がいかに実行されたのか知らなければならない。
虐殺から30年以上たった今も、クメール・ルージュの蛮行のプロセスを検証せねばならないところに、ことの深刻さがある。大虐殺はけして一部の遅れた地域での特異な事件ではない。人間の根元的な部分に根ざす問題なのだ。